めがねの聖地、鯖江。
人口6万8千人あまりで20万株のツツジや桜、レッサーパンダ飼育数で日本一の西山公園があり、デザインのイタリア、大量生産の中国、に対して、秀でた技術が集積した『技術の鯖江』と称されています。現在は600を超える眼鏡メーカーや部品メーカー、商社が集まるめがねの聖地です。
街の至る所に「めがね」を象徴するモニュメントがあります。
鯖江での眼鏡作りのはじまり。
鯖江における眼鏡枠製造は、明治38年に創始者と呼ばれる増永五左衛門が農閑期の副業として、少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠作りに着目。当時、眼鏡作りが盛んであった大阪や東京から職人を招き、近在の弟子に眼鏡の製造技術を伝えたことが始まりといわれています。
当初は、「帳場」とよばれる各職人グループごとに眼鏡が作られていました。その帳場ごとに職人が競い、腕を磨くことで分業独立が進み、現在のような一大産地が形成されたのです。戦後の高度経済成長の中で眼鏡の需要も急増し、産地として大きく成長しました。
製造の自動化などにより生産効率を追求すると共に、品質の向上と技術開発に力を注ぎ、その結果、昭和50年代の終わりごろに、世界で始めてチタン金属を用いたメガネフレームの製造技術の確立に成功しました。
【サバエメガネファクトリーより抜粋】
軽量かつ耐久性に優れるチタンは、金属アレルギーを起こしにくい素材であることから、人体に優しい眼鏡として世界に広まっています。産地における眼鏡枠製造は、100年を超え、日本の眼鏡づくりの歴史と言えます。明治38年に創始者と呼ばれる増永五左衛門が、眼鏡は必需品になるという先見のもと、農閑期の副業として、少ない初期投資で現金収入が得られる眼鏡枠づくりに着目。当時、眼鏡づくりが盛んであった大阪や東京から職人を招き、近在の若者に眼鏡の製造技術を伝えたことが始まりと言われています。当初は「帳場」とよばれる各職人グループごとに眼鏡が作られ、その帳場ごとに職人が競い、腕を磨くことで分業独立が進みました。戦後の高度経済成長の中では眼鏡の需要も急増し、産地として大きく成長。眼鏡製造の自動化などにより生産効率を追求すると共に、品質の向上と技術開発に力を注ぎ、昭和50年代に、世界で初めてチタンを用いたメガネフレームの製造技術の確立に成功。軽量かつ耐久性に優れるチタンは、人体アレルギー性が低く、頑丈かつ軽量で、バネ性に優れたメガネに最適な素材であることから、人体に優しい眼鏡として世界に広がりました。鯖江は眼鏡製造の産地として、その高い技術力が世界で高い評価を得て、今やメガネフレーム生産シェアは、国内の約94%(2009年値)を占めています。近年では、長年の眼鏡製造技術で培われた加工技術を活かし、精密機器や医療分野などをはじめとする異業界からの製品・技術開発に関するニーズも高まっており、産地は次世代に向け一歩一歩確実に歩み始めています。2010年3月には地元業界が中心となり、産地のシンボルタワーともいえる「めがね会館」内に「めがねミュージアム」がオープン。この施設は産地メーカーの製品を一同に展示販売するショップに加えて、製造道具や歴史的な眼鏡を展示するミュージアムと体験工房を併設しています。今後も、眼鏡産業活性化のために業界と行政、関係機関が引き続き連携を深めながら、更なる発展に向け取り組んでいきます。